元suzakuhogosyaの日記

旧京都市営朱雀乳児保育所の元保護者のブログ

メモ:保育所民間移管の問題点(改定版)

① 保護者の意見・意向の切り捨て
民間移管の方針を決めた社会福祉審議会での14回の審議には、一度も保護者側の意見が扱われなかった。社会福祉審議会に提出された市営保育所の保護者アンケートはほぼ全て民間移管には否定的で、現状の保育を高く評価していた。ここ朱雀でのアンケートでもほぼ全てそうであった。市営保育所保護者会連絡会から審議会に提出された要望書も無視された。
したがって、審議会がいうところの「6年間を見通した保育がのぞめないため」という乳児保育所を移管対象する理由は、およそ審議会の主観に過ぎず、不正確な指摘である。
保育所民間移管を掲げた市の基本方針案に対するパブリック・コメントの多数が反対・慎重意見であったにもかかわらず、基本方針にはまったく反映されていない。
選定委員会で聴取された保護者意見の扱いも不当なものであった(移管対象保育所選定についての要望書参照)。第10回選定委員会では九条保育所のほぼ全員の保護者が移管に反対しても「主観的」と切り捨てられた(第10回委員会摘録p11〜)。
移管対象予定とされた4保育所の保護者会が連名した選定委員会への要望書は内容の検討もされず無視された。あまりに不誠実である。
保護者の「現状の保育を継続してほしい」という意見を聞き入れず、保育内容の審査なしに移管先候補が選定された。
保護者への説明も不十分かつ不誠実なものであり、保護者は理解も納得もしていない(12/27室町乳児での説明会の例)。
保護者は民間移管に合意していない。そもそも京都市は保護者との間で合意形成をしようともしていないことが問題である。

② 民間移管に不安がある
これまで公営保育所の民営化がおこなわれた各地から、保育環境の変化・混乱にともなう事故や子どもたちの心身への大きな影響があることが数多く報告されており、損害賠償や廃止条例取り消しの行政訴訟も相次いでいる。保護者から指摘されるまで、京都市は引き継ぎ期間を最低限度にしか設けていなかった。

③ 選定委員会の権限や責任の所在があいまい
市議会での審議もなく、選定委員会の権限や責任の所在もあいまいなまま、移管対象保育所を決め、市営保育所を売りに出し(公募)、買い手(移管先候補)まで決めたことは、保護者だけでなく、議会および市民を無視している。これまで各地でおこなわれた保育所民営化で、条例なくここまで市が勝手に進めた事例はない。
また、保育内容の審査も評価せずに、0歳児保育をおこなっていない民間保育園や、選定委員から「移管先にはふさわしくない」という意見があるような民間保育園を移管先に選定することは、市として乳児保育の軽視のあらわれであり、保護者としてとても許すことができない。

④ 障害のある子への保育が悪化する
障害児等には保育士の加配制度があるが、現在、市営と民間では加配認定の仕方に違いがあり、格差が問題になっている。民間移管された場合に、現在市営に通っている子どもたちへの処遇が悪化する。移管先等選定委員会でこの問題が指摘されたが、京都市は「移管と障害加配認定制度の見直しはリンクするものではない」等の答弁に終始し(第4回摘録p21)、障害児等に発生する不利益に対する具体的な対処策を提示していない。なお、市営では民間に比べて数倍の障害児を受け入れている現状がある。

⑤ 「公募」の崩壊
今回の公募において、朱雀乳児に応募した3団体(月かげ保育園、朱一保育園、こぐま上野保育園)のうち朱一保育園が、室町乳児に応募した2団体(一乗寺保育園、こぐま上野保育園)のうち一乗寺保育園が、京都市によって「6年間を見通した保育が困難」という理由で申請が棄却された。結果として、今回評価の対象となったのは、月かげ保育園とこぐま上野保育園のみであり、これら2団体をほぼ機械的に各保育所に割り振っただけの「選定」となっている(こぐま上野保育園の点数は0歳児保育をしていない月かげ保育園より相当低いため、朱雀乳児が月かげ保育園、室町乳児がこぐま上野保育園となったようである)。
どんなに低い評価を受けても、1団体でも応募してきていれば「選定」するというのが、今回の移管の実態であり、これは適切な移管先(保育の質において同等な)を選定するための「公募」として全く機能していない。
また、このような重大な結果を招いた「申請棄却」について、京都市はその判断の根拠やそれを行うための権限の所在について全く明らかにしていない。

⑥ 保育の「効率化」でなく単なる「コスト削減」
乳児保育所の移管に伴い、市は1億2千万円の削減経費が見込まれると試算している(第4回資料)。その中身は保育士の人件費(給与)の違いであるとされるが、プール制によって勤続年数が同じならば市営と民間のあいだに給与の差は出ないはずなので、これは単純に保育士の勤続年数の差である(「基本方針」によると市営16.9年、民間11.2年)。したがって今回の削減経費は、保育士を若返らせることによって生み出されているという構造になっている。
保育士が「一人前」になるために、十数年にわたる勤務経験や自身の子育て経験などが必要であるにも関わらず、そのことを踏まえず単純にコスト論だけで移管を進めている実態がある。これでは保育の質の低下を避けることは到底できない。現に、今回移管先として選定された2団体はいずれも若い保育士が多く、委員会の評価点も高くないか、極めて低いものとなっている。コスト削減を生み出すために、保育の質などお構いなしという市の姿勢は明白である。
なお、現在通所している子どもたち、またこれから通所するであろう子どもたちなどに対する保育の質を下げてまで生み出される削減経費1億2千万円は、周知のとおり、昨年度京都市がたった1日の京都マラソンに支出した4億8千万円のたかだか4分の1にすぎない。移管で「得」をするのは誰か。保護者の思いを「主観」と切り捨てた京都市こそ、民間移管の理由である財政難を招いた「当事者」ではないか。乳幼児期の子どもたちに財政難のツケをまわしておいて何をいうのか京都市は。